読むカウンセリング(ブログ版)
2007.05.03
スクールカウンセラーに関する私見
現在の私のスクールカウンセラーに対して、なんとなく、次のような感じではないかと認識しています。
・定期的に全生徒の話を聞き、悩みを一人きりで抱えないようにフォローしている
・心に悩みを抱えた生徒の相談相手として関わっている
・問題のある生徒を更生させようとしている
しかし、実際のところ、スクールカウンセラーが、どのような組織によって配備され、具体的にどのような方針によって活動しているのかということを、私はあまり知りません。ですから、これから書くことは、既に行われていることかもしれませんし、或いは、全くの的外れな内容かもしれません。お読み下さるときはご注意下さい。
まず、「生徒の心に関する専門家は誰か?」ということなのですが、これは、やっぱり、学校の先生であると感じています。普段の子供の様子を見て、そして、接することができるのは先生しかいないからです。
子供たちのことを考えても、
・スクールカウンセラーという特殊な人に、特殊な時だけ話をする
というよりは、
・いつでも話したいときに話して受けとめてもらえる
という方が、きっと、日々の生活の安心感につながるのではないかと思います。
ですから、もし、子供たちの心をスクールカウンセラーだけでフォローしようとする考え方があるとしたら、それには無理があるような気がするのです。
話は少し変わって、知人の先生から聞いた話なのですが、その小学校では、先輩の先生が後輩の先生(新卒の先生でさえも)をフォローすることはほとんどなく、放置されている状態だということでした。その小学校が特殊なのかもしれませんが、もし、それが一般的な先生の置かれている状況だとしたら、結構、厳しい環境だなって感じました。
子供たちと接する場合、曖昧な表現ですが『子供を愛する』ということは、とても大切な方向性ではあると思います。
先生になるような人は、きっと、誰から言われなくても、もともとそんな気持ちの強い人だろうと想像しています。
しかし、「ただ他人を愛そうとすること」には、限界があります。恐らく、「ただ愛する」ということだけを目指してしまったのでは、ほとんどの場合、何らかの我慢を強いられる事になり、我慢が蓄積された結果、『感情の爆発』や『うつ的な気持ち』に到達してしまいそうな気がします。更に、社会からも、先生というだけで、『ただ愛する』ということを求められがちな雰囲気は、そんな気持ちに追い討ちを掛けるのかもしれません。
私の心に関する結論の一つに『自分が愛されているということを実感できなければ、人を愛することなどできない』というのがあります。つまり、愛する前に、愛される方が先だということです。愛されるような自分に変わらなければならないということではありません。今の自分のままで愛されていると実感することが先だと言っています。
・学校の先生は「自分が誰かから愛されている」という実感が持てるような状況にあるのだろうか?
そのことがとても気になります。
で、思うのですが、スクールカウンセラーがカウンセリングする対象を、生徒ではなく、先生にしてみたらどうかと思うのです。
先生が自分の気持ちをスクールカウンセラーに受けとめてもらうことで『愛されている』に近い感覚を実感する事ができ、
そして、愛されていると感じるから、子供たちを自然に愛することができるようになるのではないかと思うのです。
・皆さんは、学校の先生のこと、愛していますか?
・皆さん自身は、誰かから、愛されていると感じていますか?
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